撮影に必要な能力、それはずばり体力だと思う

カメラ
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たくさん撮ってみたら写真を撮るのに大事な事が分かってきた

カメラを持って2年、色んな所で色んな物を一生懸命撮ってみて、自分の中で満足できる写真を撮るために大事なことが何かという事がようやくわかった。

それは体力、これに尽きる。

何で、撮影に必要なのは体力なのかについて、今日は書きたいと思う。

ポートレートでも花撮りでも

例えば、可愛いわが子のポートレートを撮るとする。一般的に子供のポートレートを素敵に撮るには子供の目線の高さにカメラを構えるというのが定石。そのためには数十センチ、大人が屈んでカメラを構えることになる。

でも、子供は何しろ自由な生き物なので、せっかく構えたところでふらふらと動き出してしまう。そうすると屈んだ体を起こして追いかけて、また屈んで構える。これの繰り返し。

このスクワットのような運動の繰り返しが何回できるか、それは子供への愛だけでは越えられない壁があって、やっぱりそれなりの筋力が必要になる。

結局、何回目に子供の良い表情が出てくるかなんてわからないんだから、何回撮れるかが良い作品を創るための条件なわけです。10回屈むより100回屈む方が、良い作品に出会える可能性は高い。

これは別に子供を撮る時だけに限らなくて、背の低い花を撮る時だって同じ。迫力ある写真を撮ろうとしたら地べたに這いつくばってそこから見上げるように撮ったりすることになる。

実際これがすごくしんどくて、カメラを持ち出したての頃は何回か繰り返したところで撮影意欲がそぎ落とされていくのが分かりました。目の前の被写体に向き合ってられなくなってくる。そして、明くる日にもうちょっと撮れば良かったなとひどく後悔する、これの繰り返しでした。

桜や梅のような自分の背よりも高く咲く花、天を衝くように伸びる竹を撮る時は、カメラを構えた状態で上半身を反らせて上を見続けることになる。これがまた背中と肩と腰になかなかの負担をかける。

これを疲れた状態でトライしても構図や絵作りの設定にじっくりと取り組めないのでどうしても適当な撮影になってしまう。

ストリートスナップでも

ストリートスナップだともっと分かりやすいかもしれない。

ストリートスナップにとって一番重要なのは偶然の被写体との出会い。出会いというのは結局の所確率論なので、たくさん出向けば出会う可能性は上がってくる。

一日に何か所回れるか、1つの街だったとしても何ブロック歩いて行けるか。疲れたから引き返したほんの数歩先では最高の構図になっている可能性だってあるわけで。でも、歩き回ってるとだんだんファインダーを覗く余裕がなくなって、レリーズを押す余裕がなくなって、撮影枚数がどんどん減ってくる。

いや、例え目の前で面白い出来事が起こっても、疲れる事なく集中力を維持した状態でそこに立ち会わないと見逃してしまうかもしれない。集中力を持続するための体力、それがチャンスを逃さない秘訣だと思う。スポーツじゃないけれど、ここ一番であと一歩が出る精神力が維持できているか、これが重要。

風景撮影ももちろん

風景撮影なんて体力以外必要なのか?とすら思ってしまう。絶景の目の前に立てさえすれば、誰が撮ったって良い写真は撮れると言っても過言じゃない。それほど絶景というのは力があるし、だからこそ僕らはそれに惹きつけられてそこに向かうわけで。

ただ、絶景ってのはなかなか簡単には観られない。眠い体をたたき起こして真夜中に車を何時間も走らせて見に行かないといけなかったりする。

もしくは、日の出すぐの朝早くに、ぬかるんだ山道をカメラを担いで歩いた先に迎えてくれるものだったり。まぁ楽して観られる絶景なんてものは存在しない。

良いカメラも豊かな想像力も体力があって初めて役に立つ

もちろん、高級なカメラやレンズを持つことも良い写真を撮るにはとても大事な要素だし、被写体を効果的に撮る構図の想像力も大事ですが、それは体力がないと力を発揮することができない。

そこに気づいたので、僕はサイクリングを始めました。写真が上達したかはわからないけれど、体力がついたおかげで、疲れて撮れなくなるって事はなくなりました。少なくとも被写体との出会いは増していると確信してます。

写真を上達したいと考えている皆さん、上等なカメラを買うよりも、体力をつけてみるのが近道かもしれませんよ。

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