桜を撮っているうちに新しい考えが浮かぶ
3年に渡って、いわゆる花見の名所みたいな場所で桜を撮ってきました。
どの桜のスポットも確かにとても美しく、満開の桜を目に焼き付けることができる。ただ、その迫力に違和感を感じ始めたのです。
桜って、色も咲いている時間も散りゆくさまも儚げで、その儚げな繊細さが持ち味なんじゃないかなと。それなのに、僕が観てきた桜はどれもスターのように何だか堂々としてる。まるで、スタイル抜群のグラビアのように威風堂々と見せつけてくる。
何か違うなと。控えめなんだけどその中に美しさが秘められてるみたいな感じこそが桜の楽しみ方なんじゃないかなと考えるようになったわけです。
街の中で咲いている桜を撮る
という事で、街の中で特別にクローズアップされることもなく咲いていて、でもその地域の人は愛しているみたいな桜を撮りたいなと思ったんですが、これが難しくて。何しろ、お花見スポットではないので、情報が得られない。
この情報が行き交う2019年に自分の目と足で探すしかないわけです。休みの度にクロスバイクに乗っていろんな所を当てもなく漕ぎ続ける。
そんな事をしているうちに何とかいくつか見つけました。
団地の裏に一本だけ咲いている桜。この一枚から飾らない生活感が伝わってくる所がお気に入り。
こちらは小さな祠を覆うように咲く一本。昔からずっとここで街を見守ってきたんだろうなっていう背景が感じ取れるのが素敵です。
しばらく見惚れていると、そこにおじいさんが。この後、桜の目の前まで来たところで自転車を押す手を止めて、桜を見上げていました。このおじいさんも桜も毎年特別ではないけどお互い顔を合わせてというのを何年も繰り返してるんでしょうね。観たかった景色がここにありました。
ここからは駒込駅前の桜。駒込駅と言えばすぐ近くに六義園があって、日本でも有数の枝垂れ桜があります。まさに堂々とした桜の筆頭。
でも、個人的には帰り道に見かけたこの桜の風景の方が好きでしたね。満開でありながら、街を行き交う人は立ち止まるでもなく下をくぐっていく。その情景が儚くて。まさに街に溶け込む桜。
地元の方だと思われる二人の女性が、バス停のベンチに座ってこの夜桜を満喫していました。この画が撮りたかったという理想。この一枚が今年一番のお気に入りの桜の写真、撮れて大満足です。
3年の間で撮りたいと思う物が変わってきたのが自分でも面白くて、嗜好が変わっていくのを楽しんでいます。桜だけじゃなくて、全体的に街の風景、そこに暮らす人々っていうどちらかというとストリートスナップ寄りの被写体が好きになってきているなというのが最近の感覚です。
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